ドリーム小説
ひとつ大きく息を吸ってゆっくりと吐く
たったそれだけの時間でいい
他には何も望まないから
もう二度と望まないから
神様どうか
私にあたたかい血の通ったカラダをください
Innocent World
真夜中のホグワーツは怖いくらい静かで、まるで世界の時が止まったかのように沈黙を保ち続けていた。
時折梟が鳴き、風に木の葉が揺れ、大時計が時を刻むこともあった。
そんな真夜中に人が、ましてや学生が歩き回ることは校則上禁止とされていた。
時折監視の目を盗んで、獅子寮のマフラーが4本、闇夜に走り回ることもあったが、ほとんどの常識的な
生徒たちは寮の部屋で静かに夢を見ていた。
そしてここにひとり、常識的な生徒の代名詞とも言える少年がいた。
室内だというのに、緑と銀のマフラーを首に巻き、黒髪の少年は開け放たれた窓辺に寄りかかっていた。
季節は秋。
風が吹いていないとはいえ、イギリスの秋はそれなりに肌寒い。
寒い季節の星はひどく綺麗で、だが少年は空を眺めるでもなく、開け放たれた窓の真ん前に視線を向けていた。
窓の前の虚空にふわふわと浮く半透明の物体を眺めていた。
白というよりも灰。
灰というよりも銀。
それは少女の形をして、笑みを浮かべて空に浮いていた。
『また眠れないの?』
半透明の少女は笑みを浮かべたまま、慣れた口調で声をかけてきた。
「明日からテストでその勉強をしていたから。知らないうちに夜型の生活になってしまったみたいです」
少年、セブルス・スネイプもまた慣れたように、彼を知る者なら驚くほど穏やかな口調で返事をした。
『子守唄でも歌ってあげようか?』
「結構です。僕のこと幾つだとお思いで」
『確か14だったかしら。まだまだ子どもじゃない』
セブルスが仏頂面になるのを、少女は口端を上げた不思議な笑みでからかった。
美しく形のよい唇だけを上げて笑う、古拙なアルカイックスマイル。
ギリシャ彫刻によく見るその笑い方は、古い神話の女神を連想させる。
不自然にも見えるその微笑は、だが彼女にとても似合っていた。
『子どもは早く寝なさいな』
「さんだって僕とそんなに変わらないじゃないですか」
『見た目だけよ。私が何百年ゴーストやっていると思ってるの。中身はすごいおばあちゃんなんだから』
そう言って、と呼ばれた少女のゴーストはセブルスが寄りかかる窓枠に腰を下ろした。
いつ見ても不思議な感覚に思われる。
ホグワーツ内でゴーストを見ることは決して珍しいことではない。
だが、セブルスは自分と近い年の霊にあったことはなかった。
そんな幽霊がいると聞いたことすらなかった。
*
セブルスが・というゴーストと出逢ったのは、本当に偶然からだった。
セブルスがある日の放課後に魔法薬学の実験をしていたら、偶然が迷い込んできた。
それだけだった。
それ以来はセブルスがさして興味を示さないのも気にせず、しょっちゅうセブルスの前に現れた。
初めのうちはうざったそうに短い言葉で受け答えをしていたセブルスだったが、話を聞いているうちに
彼はが“頭のいい・賢い”類の人物であることに気付いた。
は数百年前のホグワーツの生徒だった。
『私も君と同じスリザリン生だったのよ。君の大先輩になるわね』
セブルスの初めての問いかけに、が嬉しそうに答えたのを覚えている。
セブルスがと出会って随分経った日、は自分の死因を語った。
『三校対校試合。結構実技には自信があったからね。ゴブレットに紙を入れたら、運良く選ばれたのよ。
なぁにその顔、信じてないわね?これでも最終戦まで最高得点の優勝候補だったのよ』
は自分が死んだときのことを嬉々として語った。
『でも、惜しかったわ。最終戦のゴールの手前で油断してしまったの』
凶悪な幻の生物との真っ向勝負で、上手く避けたと思っていたマンティコアの毒の尾に刺されてしまった。
救護班が見つけたときには最早手遅れで、次に目を開けたときには体は半透明に。
・はホグワーツの亡霊のひとりとなっていた。
「そんなくだらない学校交流のためにさんが死ぬことはなかったんじゃ」
『そうね。でも、三校対校試合で命を落とした生徒はたくさんいるわ。そして、せめてもの慰みは、死んだ生徒は
『死者』ではなく、『英雄』になる、ということかしら』
「そんな称号」
『えぇ、いらないわ。でも仕方のないことよ。どんな悲惨な事故が起きても、それでもこの試合がなくならないのは、
己の支配する駒の力を見せつけたい、年老いた魔法使いたちの旧い意地があるからかしらね』
子どもには納得の出来ない大人の理論を、紙が水を吸うようにすぅとその身体に沁み込ませていた。
『そんな顔しないで、薬学少年君』
そう言っては目を細めて、古く美しい彫刻のように口元だけで笑う。
はセブルスのことをいつもそう呼んだ。
『長居してしまったわね。そろそろおいとまするわ。貴方ももう寝なさい』
「いえ僕はまだ。明日から試験ですから」
『勤勉ね。さすがは学年トップクラスなだけあるわ』
「三校対抗試合に出場するほどの人に言われても」
皮肉を言っても、は笑顔でそれを促す。
その笑顔があまりにも無邪気で優しくて暖かくて、セブルスは自分が酷く子どものように思えてしまった。
たとえ学年トップクラスの頭脳を以ってしても、敵わないのだ、には。
『過労死しない程度に、程ほどにね』
「ご忠告感謝しますよ。まぁ死んだら、そのときは仲間にでも入れて下さい」
セブルスの笑えない冗談にはくすりと微笑んで、『おやすみ』と短く告げて虚空へと消えていった。
*
翌日から試験が始まり、そしてそれに合わせるかのようにはセブルスの前に姿を現さなくなった。
のことだから、セブルスの勉強の邪魔になるのを避けたのだろう。
事実、セブルスは試験勉強に集中することが出来た。
だが集中が解けてふとペンを止めたときは、言い知れぬ漠然とした空虚に襲われた。
以前はあんなに好んで求めていたひとりでいることの静寂が、今は何故か落ち着かない。
ゴーストである彼女がいることがセブルスの中で自然なものになってしまっていた。
その事実に改めて気付きながらも、かつて経験したことのないこの気持ちに名前をつけることをセブルスは躊躇った。
この気持ちを彼女に伝える勇気などない。
伝えたところでどうにもならない。
自分は生きた人間で、彼女は過去で時が止まった亡霊なのだから。
そうやっていちいち言い訳をして今の状態のままでいようとする臆病な自分を、時折ペンを止めて窓を眺めては
嘲笑うのだった。
試験が全て終了した日の夜。
それを見計らったかのように、はセブルスの部屋に現れた。
窓に腰を下ろしたは、彼女にしては珍しいくらい物憂げな顔でいた。
「何だかお久し振りですね」
『そうね。試験はどうだった?なんて、聞くだけ野暮かしら』
そう言っていつものようには笑った。
「ここに来ない間は、何をしていたんですか」
話を続けられないかと何気なく口にした質問。
そのことに一番驚いたのはセブルス自身だった。
他人の行動に興味をもつような発言など、記憶の箱を探っても幾らも見つからない。
窓辺に腰掛けたはセブルスから視線を外し、どこか遠くを見るように目を細めた。
『考え事をしていたの』
窓の外には下弦の月が見える。
月の光を受けたギリシャ彫刻は、その顔に美しすぎる陰影を映し出していた。
『ゴーストになって、気が狂うほどの時間を過ごしてきた。食べることも、眠ることも、草木に触れることも
できない。でもね、不思議だけれど、実体がないことを不便だと思うことはないの』
そしてはひとつ瞼を閉じる。
再び開けられたとき、そこに古拙の笑みはなかった。
あるのは、既に諦めを心に決めた、悲しげな笑みだった。
『ずっとこのままでもいいと思ってた。欲しいものなんて何もなかったのに』
「何が、欲しいんですか」
セブルスの問いかけに、は自虐的に笑った。
息をすることすら忘れたゴーストが吐息を漏らす音を聞いた気がした。
大気がほんの少し震える。
『ひとつ、息をするだけの時間でいい』
たったそれだけの時間でいい
『元に戻りたい。そうすれば、君を抱きしめてあげられる』
全てを包むように優しく
『手を繋いであげられる』
離れ離れにならないように
『キスしてあげられるのに』
それひとつあれば心が満たされる
『時間は無限にあるのに、たったの一握りの時間すら私のものにはできない』
神様は不公平だとは笑う。
脆い古拙の彫刻は、少し笑えば簡単に崩れてしまいそう。
『死んでから初めて人間に戻りたいと思ったわ』
笑ってはいるけれど心は泣いていた。
どんなときも弱い姿を曝け出さない、それが彼女の中にある彼女の掟なのだろう。
だから、「泣いてください」とも言えなかった。
「ゴーストは気楽でいいって言っていたじゃないですか」
だからセブルスもいつもと変わらない会話を続ける。
は苦笑して降参というように一度目を瞑った。
『完全に私の落ち度だわ。生きた人間を好きになるなんて』
次に開けられたときには、優しすぎる暖かな目がセブルスを包むように見ていた。
冷たいゴーストからは想像も出来ない瞳の熱さに、セブルスはたまらず顔をそらす。
それでも耳が熱くて、きっとにはばれているのだろうと余計にやきもきしてしまう。
『あら。年上の女はお嫌いかしら』
はからかうような口調でセブルスに問いかけた。
僅かに首を傾げて寂しそうに笑うに、セブルスは観念したように苦笑した。
「嫌いじゃないです。貴女のこと」
『ふふ。ありがとう。最高に嬉しいわ』
返された言葉と最高の笑顔に、セブルスは見とれた。
月の光か、星の光か、彼女の目元が一瞬光った気がした。
は窓枠から腰をあげ、ふわりと羽根のように宙に舞い上がった。
『そろそろ行かなきゃ。じゃぁね、薬学少年君』
「待っ・・・」
引き止めようと無意味なことを承知でへと手を伸ばす。
だがセブルスの指は何もない虚空を掻いただけだった。
引き止める暇さえ与えてくれず、は跡形もなく闇へと融けていってしまった。
指先が少しだけ冷たかった。
だがそれも、すぐに自分の体温を取り戻していった。
人はこうして過去を忘れていくのだろうか。
彼女も、セブルスの中でなかったものになっていくのだろうか。
だったら
「僕は・・・馬鹿だ」
もっとちゃんと伝えておけばよかった。
伝えきれなかった言葉が胸にしこりとなって残った。
は、最後まで名前で呼んでくれることはなかった。
それっきり会うことはなかった。
校内で見かけることもなく、時ばかりが無情にも過ぎていった。
何度季節が変わっていったのだろう。
あの後悔の日以来、時折不思議な感覚に襲われた。
手を伸ばせば手にはいったかもしれないものが、霞の如く指の間をすり抜けていく感覚。
失って初めてその大切さに気付く。
今更そんなことに気付いても遅いのに。
もう誰も舞い降りて来ない窓辺を眺めては目を伏せる。
そんなことを何度も繰り返して、月日は過ぎていった。
*
久々に訪れたダイアゴン横丁は、自分の中にある記憶以上の賑わいを見せていた。
ホグワーツを好成績で卒業して魔法薬学の高等研究所に就職した最初の夏休み。
自主研究のために注文していた材料が届いたと店舗から連絡を受け、セブルス・スネイプはダイアゴンを訪れていた。
両手いっぱいに紙袋を抱え、雑踏をかきわけて次の店へと足を進めた。
賑わう表通りには箒屋、装飾店、ペットショップ、食料品店、書店、銀行などが立ち並び、少し道を外せば薬品店、
闇の骨董品店、黒魔術専門店といった闇の世界が広がっている。
光と闇の混同する世界。
その2つの世界のちょうどぶつかる街角に佇む一軒の店舗に、セブルスの目が留まった。
以前にはなかった店。
その店自体がセピア色に包まれたような、しっとりとした雰囲気を醸し出すそこは、小さな花屋だった。
「こんなところに花屋などあったのか」
両手いっぱいの紙袋を一度持ち直し、記憶にないその店を眼の端に入れた。
たくさんの花が活けられる中、一番目を惹いたのは店先でわんっと咲いた鈴のような形の真っ白な花だった。
いずれにしても、花など風流なもの、自分には用のないものと気にも留めず、花屋の前を通り過ぎた。
店先では、セブルスと同じくらいか、やや年上の女性が花に水をやったり、萎れた葉をとったりと手入れをしていた。
白昼の街中で、記憶が混線した。
夜空の、
亡 霊
古拙の笑み
『子どもは早く寝なさいな』
まさかと思った。
絶対に自分の見間違いだと。
そんなはずはないと何度も頭の中でリフレインさせた。
それでも、自分の記憶から消し去ることの出来ない姿が、そこにいた。
セブルスは弾かれたように花屋を振り返った。
花屋の店先では、花の手入れを終えた店員が満足そうに花々を見渡していた。
(・・・・・嘘だ)
「いらっしゃいませ」
それは、現世にいるはずのない人だった。
学生時代の想い出の中心ともなった彼女が、そこにいた。
銀色の体ではなく、今度は色彩を纏って、地に足を付け、確かな姿でそこにいた。
「何かお探しですか?」
不意に彼女から声をかけられ、セブルスは我に返る。
それでやっと、いつの間にか自分が花屋の店先に立っていることに気付いた。
無意識のうちに足が進んでいたらしい。
特に花を買うつもりもなく、セブルスは言葉を濁す。
「あ、いや・・・その」
「どうぞ。ゆっくり見てやってくださいね」
焦るセブルスを気にした様子もなく、彼女は唇と頬を上げ古拙な笑みを向ける。
忘れることのない、彫刻の柔らかな微笑み。
あまりに「彼女」とそっくりな笑顔に一瞬体中の力が抜け、抱えていた荷物たちを落としてしまった。
「あら、まぁ」
「し、失礼っ」
自分らしくない失態に僅かに頬を染め、転がる薬品の瓶を集めようとしゃがめば、彼女も瓶拾いを手伝ってくれた。
瓶を手渡され、セブルスは視線を合わせずに礼を言う。
「申し訳ない。助かりました」
「いいえ。どういたしまして」
それ以上の会話は続かなかった。
彼女は、セブルスがよく知る笑みを浮かべていた。
だが、それはセブルスの知っている彼女ではなかった。
そうだ、彼女はもういないのだ。
思い出を引きずっているのは自分だけかと、そう思うと無性に空しくなった。
彼女から視線を外し、眼を落とせば、先程目に付いた白い花たちが視界に入った。
少しの風にも小さく丸い花を揺らす、控えめなそれは思いのほか可愛らしかった。
「スズラン、気に入られました?」
「え・・あぁ」
「今日入ったばかりなんです」
「可愛いでしょう?」と自慢げに言い、彼女は小さな白い花を指で弾く。
彼女の指が触れた瞬間、鳴らないはずの鈴の音が聞こえた気がした。
りんっと。
「一輪、どうぞ。気に入られたみたいですし」
そう言って彼女は花を差し出した。
だがセブルスの両手は荷物で埋まっていてどうにもならない。
そのことを悟った彼女は、荷物の上にそっと花を載せてくれた。
彼女は満足げに微笑む。
セブルスのよく知る笑顔で、幸せそうに笑っていた。
幸せそうだった。
「どうも」
セブルスは何かを諦めたように苦笑して、店に背を向けた。
*
風が吹いて、店先に並んだスズランがセブルスを呼び戻すようにりんりんと鳴いた。
「ずいぶんと背が伸びたのね。薬学少年君」
風のように囁かれた言葉に、セブルスは息が止まるかと思った。
そんなことはありえないと思った。
たった今、小さな希望を諦めたばかりだった。
期待なんかして、それが裏切られたときどれほどの絶望を味わうかはわかっていた。
それなのに、
「神様は、不公平じゃなかったみたい」
セブルスは、振り返ってしまった。
微かな望みを抱いて振り返った。
彼女は、そこにいた。
彼女は、古拙な笑みを浮かべて立っていた。
「ひとつ、息をするだけの時間でよかったのに。神様が大サービスしてくれたみたい」
風に揺れる髪を耳にかけて、彼女は苦笑する。
それは、セブルスがよく知る彼女だった。
「ただいま。薬学少年君」
勝手に消えてごめんね、と。
待たせてごめんね、と。
彼女は笑う。
その笑顔があまりにも綺麗だから、セブルスも言いたかった意地悪な言葉を飲み込んだ。
「おかえり。さん」
目の前の彼女は、嬉しそうに微笑んでいた。
もう夜の闇に消えることのない貴女に、今度こそ、伝えられなかった言葉を贈ろう。
ガヤガヤと賑わう街中。
店先に並べられたたくさんの白い花が楽しげに鈴を鳴らしていた。
“幸せが帰ってきた”
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役に立たない語彙解説
*アルカイックスマイル
ギリシャ彫刻の口元によく見られる微笑み。目はそのままに、唇の端を上げた笑い方。
*マンティコア
頭は人間、胴体はライオン、サソリの尾を持つ怪物。凶悪。猛毒。
以前書いた作品です。結末がかなり違うものになりました。
こっちの方が、セブルスが報われるかなぁと思って。
少女の強い願いが魂を転生させたととっていただければ。
初めての年上ヒロインでした。
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